2.坂本龍馬の歴史的評価と彼が教科書から消える理由
さて、ここまで坂本龍馬のイメージがどのように形成されてきたかを振り返ってきました。
その中で、龍馬のイメージは時代によって求められた形になっていたことが分かるのではないかと思います。
こうした事情を整理すると、「史実」とされる部分以外のものが評価に影響しているといえます。
そのため、教科書から削除されるという提案がなされた理由は、結論から言ってしまうと「歴史学的には教科書に乗せるほどの価値がないから」ということになります。
ただ、これではあまりにも身もふたもないので、どうしてそういう理由を推測するに至ったかを解説していきます。
1.龍馬の功績はイメージほどではない可能性が高い
端的に言ってしまえば、龍馬の功績とされるものにはかなりの部分で「盛られた形」で我々にイメージとして刷り込まれている可能性が高いです。
例えば、薩長同盟の成立には龍馬の行動が欠かせなかったという主張をみていきましょう。
これは『竜馬がゆく』でも描かれており、我々もこうしたイメージをそれほど疑うことなく受け入れている節があります。
しかし、近年の研究では薩長同盟に全く貢献していないというほどではないものの、我々がイメージするほどの貢献には遠く及ばないという主張もなされています。
これだけではなく、他にもいくつかの部分で都合よく解釈されている、あるいは架空のエピソードが事実だと思われているという面も存在します。
したがって、龍馬の功績とされるものには不透明な部分も多く、歴史学における評価がそれほど芳しくない一つの要因になっています。
もちろん先進的な思想や活動があったことも事実ですが、それは龍馬に限ったことではないということも見逃してはなりません。
2.教科書には「歴史の流れを抑えるための必修項目」以外を載せる余裕がない
画像出典:https://www.yamakawa.co.jp/product/70006
先ほども触れたように、龍馬の功績がすべて否定されるわけではありません。
実際、幕末という武士の時代に徹底した実利主義を掲げ、藩という組織に囚われず経済活動を行なっていたという商業的センスは特筆に値します。
ところが、「教科書に載せるべきか」と問われると、それは必ずしも同意できません。
なぜなら、教科書は「歴史の流れ」を把握することを目的に要点を絞り出して製作されるものだからです。
古代から現代までの歴史の流れを一冊の本に収めるためには、相当な要点の削り出しをしなければなりません。
そうでなければ教科書の分量が膨大なものになってしまい、学生の教養というレベルを大きく逸脱してしまうからです。
こうした事情があるため、教科書には「絶対に抑えなければならない用語」以外を載せている余裕はありません。
つまり、「教科書から削除される」ということは、あくまで「歴史の流れを把握する際に絶対に必要な要素ではない」と判断されただけであって、龍馬の価値を完全に否定するものではありません。
3.教科書に掲載されている用語が多すぎる
さて、冒頭にも書きましたが、そもそも「坂本龍馬」という用語が教科書から削除されるという報道の根本は、「高大連携歴史教育機関」の提案によるものです。
彼らによれば、「現代の教科書に掲載されている歴史用語は3500語ほどあり、これは多すぎるため半分程度にするべき」という主張がなされています。
個人的には、この意見には同意するところがあります。
その理由は単純で、現代の歴史教育は「用語覚え競争」を促進しているという一面があり、教養として歴史を学ぶ上で重要な「歴史を考える」という側面がないがしろにされているように感じるからです。
その是正につながるという意味では、ある程度の用語削減はしかるべきとも思えます。
さらに、坂本龍馬だけでなく武田信玄や上杉謙信といった人物も削除対象リストに含まれていたために、なにも龍馬の価値だけが否定されたわけではありません。
そのため、個別な事象が教科書から外されるか否かを検討することも大切ですが、その背景にある「歴史教育の改革」という問題にこそ真の論点があるように感じています。
3.まとめ
ここまで、坂本龍馬のイメージ形成と教科書削除騒動の背景を考察してきました。
機関が提案した削減対象の中に「坂本龍馬」という人気の高い人物が含まれていたためにセンセーショナルに報じられてしまったという側面がありますが、この問題の本質は「坂本龍馬」そのものではないということが分かっていただけたのではないかと思います。
したがって、個別の事象よりもむしろ議論すべきはその提案がなされた理由ではないでしょうか。
この記事を読んで、そうした点について考えを巡らせて頂けると幸いです。
もっとも、この記事は学術論文ではないので、最後に「坂本龍馬」を教科書から削除するべきか否かという問題に関する個人的な意見も表明しておきます。
私としては「必ずしも坂本龍馬の名前を教科書に掲載する必要はない」と考えています。
その理由は2点あり、先ほども述べたように教科書から用語を削ることに賛成であるというものと、歴史の流れを叙述する際に必ずしも欠かせない用語ではないと考えているためです。
後者については、西郷隆盛や勝海舟と比べれば歴史上の重要性ではやはり一枚落ちるところがあるように感じ、幕末という時代を最低限把握するだけであれば必修とはいえないように感じるためです。
ただ、誤解のないように言っておくと坂本龍馬が嫌いという事は全くありません。
あくまで「教科書に載せるべきか否か」という点に重きを置いていることをご理解いただければと思います。
【参考資料・HP】
- 「龍馬や松陰は不必要?高校の歴史用語「約半分に」案」、朝日新聞2017年11月14日号(https://web.archive.org/web/20180101110829/https://www.asahi.com/articles/ASKCB5RZWKCBUTIL052.html)URLは2018年1月11日時点のアーカイブ
- 平尾道雄『坂本龍馬のすべて』新人物往来社、1979年。
- 知野文哉『「坂本龍馬」の誕生:船中八策と坂崎紫瀾』人文書院、2013年。
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