沖田総司はイケメン?ブサイク?写真や子孫の証言から顔の様子を検証!

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本日は、新選組一番隊隊長にして、病により若くしてこの世を去った早逝の天才・沖田総司についての記事を書いていきます。

沖田はかねてより人気のある人物で、剣術の腕と非業の運命から「色白で病弱な美少年」というようなイメージで描かれることも多いです。

しかし、実は沖田の写真や彼本人を描いた肖像については現存していないのです。

そのため、生前の沖田を知る人物の証言や史料内に残されたわずかな記述以外に彼の容姿を把握する方法はありません。

そこで、この記事ではそうした沖田の容姿に関する証言や史料を整理し、彼の姿をできる限り解き明かしていきたいと思います。

1.沖田総司が「ブサイク」という可能性を高める写真や証言

まず、初めに世間で語られている沖田のイメージとは真逆の、「沖田はイケメンではない」ということを裏付けるような証言や史料をみていきましょう。

1.現存している写真がブサイク…

上記を裏付けるものとして有名なのは、「沖田総司」で検索すると真っ先に出てくるこちらの肖像画でしょう。

 沖田総司 肖像画とされている画像画像出典:https://bakumatsu.org/men/view/162

正直、この写真が仮に沖田の生前の姿であれば、およそ彼のイメージとは似ても似つかわしくない姿といえるでしょう。

私も他人の顔をとやかく言えるような人間ではないのですが、客観的な評価としてこの顔を「イケメンだ」と評するのはよほどの物好きでしょう。

少なくとも、万人がイケメンであると認識する顔でないのは異論がないと思われます。

しかし、結論から言えばこの写真は生前の沖田を映したものではありません。

この写真は沖田の姉であるミツが、自身の孫にあたる要という人物の容姿を「どこか総司の面影がある」として書き取らせたものとされています。

そのため、直接的に沖田の容姿を描いた肖像画というにはあまりにも不十分です。

2.容姿に関する証言もイマイチ…

次に、沖田の容姿に関しては同時代を生きた人物たちによるいくつかの証言が残されています。

例えば、小説家の子母澤寛が小説で沖田を扱うために、生前の新選組を知る「八木為三郎」なる人物に取材したところ、沖田の容姿については

「丈が高く肩の張りあがった色黒な人であった」

と証言しています。「色黒」というのは我々のイメージとはだいぶ異なりますね。

さらに、郷土史家の谷春雄が新選組の後援者だった佐藤彦五郎のひ孫に取材した際には、

「背が高く、色黒で猫背のよく笑う人だった。ひら顔で目が細く、ひらめのような人だった。」

と証言しています。

ヒラメ 写真
画像出典:https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%A1

ただしこの証言にはいくつか問題があるようで、ひ孫が谷の言葉に乗せられてしまいついつい過剰に形容してしまったという意見や、ヒラメというのはあくまで目の間隔の話をしただけという意見もあるようです。

このあたりの反論は研究書では確認できず、情報源がWikipediaというなんとも心もとないものですが、参考程度にこういう意見もあると紹介しておきます。

2.沖田総司が「イケメン」という可能性を高める証言や史料

さて、次は世間で語られているイメージ通り「沖田はイケメンである」ということを裏付けるような証言や史料をみていきましょう。

ただ、私の個人的な意見を先出ししておくと「沖田はイケメンではなかった可能性が高い」と考えています。

そう考えるに至った根拠として、イケメン説を裏付ける根拠があまりに乏しいことが理由として挙げられます。

そのため、この項で触れる内容は多少無理があることをご理解ください。

1.子孫・沖田哲也氏の証言

総司の子孫にあたる人物に、明治大学政経学部で教授を務める沖田哲也氏がいます。

彼は上記の「ヒラメ顔」説について否定的な意見をもっており、

「沖田家では色白の小さな男として伝わっている」

ヒラメ 写真沖田イメージとしてはこんな感じでしょうか。
画像出典:https://www.volks.co.jp/htd_kyoto10/volks_sd02/

と反論しています。しかし、この反論にはいくつか問題点があると個人的にはみています。

問題点1.複数人から真逆の証言が出ている

まず、沖田の容姿については複数人から「色黒で背が高い」という証言が出ている点は無視できません。

もちろん上記は単なる証言であり、その信ぴょう性は決して高いとは言えません。

しかしながら、信ぴょう性という点で議論するならば「沖田家に伝わっている」という沖田哲也の証言の根拠もそれほど信ぴょう性は高くないでしょう。

そう考えていくと、単純に複数人から寄せられている証言を重視したいものです。

問題点2.子孫という立場は客観的な立場とは言えない

また、「沖田哲也氏が沖田総司の子孫である」という事実にも問題があると考えています。

これは単純な話で、仮に自分が哲也氏の立場であった場合、偉大な先祖を貶すような証言を残すとは思えないからです。

先祖の名誉を汚すという事は、彼にとってまさしく百害あって一利なしです。

したがって、客観的な立場から寄せられている証言とはいえないと感じています。

2.沖田は女性に人気があった可能性が高い

ラブレター 画像

これは直接的に容姿と結びつくかは疑問ですが、生前の沖田は何人かの女性に愛されたということを示すような痕跡も見つかっています。

歴史作家の森満喜子は、沖田が町医の娘と恋に落ちたことがあると書き残しています。

ただ、これについてはあくまで伝聞に過ぎず、それを裏付ける明確な史料は見つかっていません。

また、新選組の支援者であった小島鹿之助の長男が記した『慎斎私言』では、気の強く腕っぷしの良い女に求婚され、沖田がそれを拒否すると女が自害を図ったというエピソードが紹介されています。

ただし、これも二次史料のエピソードなので信ぴょう性が高いとは言えません。

さらに、壬生寺には「沖田氏縁者」と刻まれた墓標があり、この「縁者」を娼婦であるとする仮説も提唱されています。

このように沖田にはいくつも浮名を流した形跡があり、それぞれの説話自体は信ぴょう性が高くないものの、彼がモテていたという可能性は決して低くないと言えます。

もっとも、当然ながらこうした女性との浮名が「イケメンである」こととは直接的に関係しないのも事実です。

剣術の腕は確かであり、人柄も優れていたという沖田は、顔は多少大目に見られていた可能性もあります。

3.沖田の顔に関する個人的な意見

さて、ここまでは「イケメン説」と「ブサイク説」の双方をみてきました。

両者の主張を鑑みた結果、私個人の結論としては先ほども触れたように「沖田総司はイケメンではなかった」という説を提唱したいです。

その理由は先ほども説明したように「反論の根拠が相対的に弱い」という点が大きいです。

加えて、個人的には姉ミツの「肖像画のモデルとなった孫の容姿はどこか総司の面影がある」という証言を重視したいです。

沖田ミツ 肖像ネット上ではこの写真しか見つからなかったのですが、本当にミツの写真かは不明です
画像出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%94%B0%E3%81%BF%E3%81%A4

この証言はあくまでミツが沖田の死後数十年が経過してからの発言であり、彼の姿がおぼろげな記憶となっていた可能性はあります。

しかし、仮にそうであったとしても、「大きなイメージ」まではあいまいにならないのではないか、と考えられます。

つまり、一応親戚にあたりおぼろげな記憶ながらも沖田に似ていると証言された孫の姿は、生前の彼の姿とそれほど大きくは乖離していないのではないかと思うのです。

もちろん、この証言だけを根拠にするには問題が多すぎるのも事実です。

あくまで面影があるという程度の証言・ミツの記憶がどれほど正確か・「似ている」の定義があいまい…etc

ただ、このミツの証言と他に同時代を生きた人々から得られた証言には、一致するところがあるのも事実です。

そのため、それらの証言を組み合わせていくと、くだんの肖像画は決してそれらの証言を大きく外していないことがわかります。

したがって、「現状分かっている情報だけ」を根拠とするならば、沖田総司は不細工寄りだったと考えるのが自然でしょう。

しかしながら、それを事実と断定するにはあまりにも情報が少なすぎます。

そのため、今後の史料調査で彼の顔写真が見つからない限りは、この問題が解決されることはないのではないでしょうか。

【参考文献】

  • 木村幸比古『新選組と沖田総司:「誠」とは剣を極めることなり』PHP研究書、2002年。
  • 新人物往来社編『沖田総司のすべて』新人物往来社、1973年。
  • 伊東成郎『幕末新選組拾遺帖』新人物往来社、2004年。
  • 宮地正人『歴史のなかの新選組』岩波書店、2017年。

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