私事なのですが、最近コーエーのセールで『信長の野望 創造』というゲームを買いました。
発売されたのはかなり前のゲームなのですが、ノブヤボシリーズは中古価格がほとんど落ちないという特徴があり、購入をためらい続けて今に至ってしまったのです。
シリーズでは過去作の『天翔記』や『烈風伝』のプレイ経験があるほか、同じくコーエーの『三国志』などもプレイ済み。
そのためノブヤボシリーズの初見プレイではないのですが、久々にやってみると「かなり戦国時代の勉強になるな…」と気づいてしまいました。
私は一応史学科を出て歴史ライターとして活動しているので、多少専門的な視点から見てもそう言えるゲームに仕上がっています。
某うどん県では「ゲームは一日一時間」という条例が可決されてしまったことも記憶に新しいので、本記事では「ノブヤボで学べること、学べないこと」と題し、大人気ゲームの教材としての力を見ていきます。
1.信長の野望シリーズで学べるコト
まず、信長の野望シリーズで学べることを整理してみます。ナンバリングによってゲーム性は異なるので一概に当てはまるとは言えないのですが、極力どのシリーズにも該当しそうなところから選んでみました。
1.武将、城、土地などの名前を覚えられる
信長の野望をプレイしていると、日本地図上に無数の武将や城郭が存在することに気がつきます。
本作のクリア目標は基本的に天下統一なので、そうした大量の情報はプレイしていると勝手に頭に入ってきます。
また、このシリーズは俗に言う「沼ゲー」の要素が強いので、ハマる人は何度も何度も周回プレーをしがち。
こうして繰り返し天下統一を目指していると、いつしか「どこにどんな武将がいるか」を覚えられるようになるでしょう。
もちろん、情報をただ暗記することに意味はありません。ただ、仮に戦国に関係する史跡に旅行したり、もう少し専門的に戦国の勉強をしようと思ったりした場合、覚えておいて損はありません。
加えて、本作で人気を博すプレイスタイルとして、織田信長や武田信玄といった有力大名を使わずにあえて弱小勢力で天下統一を目指す「縛りプレイ」もあるので、普通に勉強しているとまずお目にかからない小規模勢力に興味が持てるのも魅力的。
2.自身および有力大名の立地や外交がいかに大切か分かる
戦国の世を考える際、絶対に見逃してはいけない要素が「大名家の立地」です。
例えば、織田信長は確かに優れた家臣や近代的な統治機構を有していました。が、彼が京都に上洛し、足利将軍を擁立できたのは、やはり「尾張・美濃が京都にそこそこ近かった」という土地的な条件も小さくありません。
他にも足利家からの要請を受けて上洛に前向きだった大名は何人かいますが、基本的に土地柄の問題もあってなかなか兵を出すことは叶いませんでした。
また、自分の立地だけでなく、他の有力大名がどれだけ身近にいるかも大切でした。
当時の東日本で有力だった大名家である武田家・上杉(長尾)家・北条家・今川家あたりは、どこも確かな実力をもっていました。しかし、不幸なことに彼らの勢力はそれぞれが近接しており、同盟と敵対を繰り返し続けた歴史があります。
結果として、彼らは天下統一どころか(そもそも、天下を夢見ていない大名もおりますが)、戦国の終焉まで大名家として生き残れたのは上杉家だけという有様。
こうした立地がもたらす難しさは、ゲームでも存分に味わうことができます。
例えば、「弱小大名」としてマニアに愛され続けている姉小路家は上杉・武田・織田家に囲まれ、一条家も長宗我部家の勢力に悩まされることに。クリアには外交関係が必須なので、外交の大切さも分かるかもしれません。
現実世界で彼らが滅亡した理由が痛いほど分かると同時に、大逆転を演じた暁には最高の爽快感を得られます。
3.生まれた年の大切さが分かる
戦国時代は、「その武将がいつ生まれたか」というタイミングも重要でした。
例えば、奥州の覇者として君臨した伊達政宗は、永禄10年(1567年)に生まれました。彼の生まれ年には信長がすでに尾張統一を果たし、上洛に向けて美濃を手中に収めています。
そう考えると彼が生まれたのは戦国の後半も後半であり、最終的に奥州制覇を果たすも西日本を手中に収めた豊臣秀吉の勢力に屈してしまいました。
このことから、政宗に関しては「あと10年早く生まれていれば、天下が取れたのではないか」と言われることがあります。
まあ、実際のところ政宗が10年早く生まれたところで天下が取れるとは思えないのですが、「生まれ年」というのが時代の流れを大きく左右したことは間違いありません。
このあたりはゲームのプレイ中にも痛感することになり、人物の寿命を史実通りにすると「あと数年でも長生きしてくれれば…」「もっと早くアイツが生まれてくれば…」と、当時の人々が感じたであろうもどかしい思いができるでしょう。
4.兵力以外に経済力の大切さが分かる
戦国時代といえば、「強い武将と兵士たちがいる国が強い」というイメージを抱きがちです。
しかしながら、実際は「強い武将と兵士を生み出すための経済力が何より大切」な時代でした。
これは現代の戦争でも同じなのですが、どんなに強い兵器や兵士をもっていたとしても、彼らをメンテナンスし、「使える」状態にするための財力・食料供給力がなければ使い物になりません。
だからこそ、大名たちは豊かな土地を求め、あるいは交易の拠点となる場所を求め、戦争に明け暮れたわけです。
信長の野望でも、最近の作品になればなるほどこのあたりが重視されるようになっています。
特に、私がプレイしている『創造』では交易港や金山、拠点の石高などが重視されるようになっており、当時の世界観に近い経済の力を体感できるようになっています。
2.信長の野望シリーズで学べないコト
上で挙げてきたように、本シリーズは他の創作小説やゲームでは学べない多くのことを楽しみながら体感できる点が魅力的です。
しかしながら、やはり「どこまで行ってもゲーム」という点は否めません。
1.基本的に史実は学べない
そもそも、本作は「本来なら豊臣秀吉・徳川家康が成し遂げる天下統一を、他の大名が成し遂げる歴史ifルート」を楽しむゲームです。
そのため、当然ながら「本来歩むはずだった歴史」を学ぶことはできません。そもそもそういうゲームなのですから、こればっかりは仕方ないですね。
ただ、最近のシリーズでは歴史ifルートを楽しみつつも史実に起こったイベントを追体験できる機能も搭載されており、ある程度は歴史の流れを再現できるようになってきました。
2.「権威」や「縁」の大切さは学べない
本作の醍醐味は、言うまでもなく自分の意志で領国を経営し、最適な人材・資源を最適な方法で手配していく頭脳プレイにあります。
しかしながら、恐らく本作を戦国武将にプレイさせれば「そんなに簡単に合理性だけで判断できれば苦労しねえよ!」と言われてしまうかもしれません。
なぜかといえば、本作では戦国武将たちに欠かせない要素であった「権威」や「縁」といった要素を体感しにくく、合理的とは言い難い判断を強いられた彼らの苦しみは分からないからです。
まず、「権威」とは、つまるところ家柄や役職の「格」のこと。戦国といえば「下剋上」のイメージがあり、格を重視するイメージはないかもしれません。しかし、実際は武力の時代といえども権威の存在は欠かせないものであり、あの織田信長や豊臣秀吉でさえも、その獲得に躍起になっていました。
上記の点から、戦国時代は能力主義といいつつ、やはり権威主義的な風潮は色濃く残っていました。そのため、いくら武力をもって命令を発しても、それにふさわしい「権威」がなければ軽んじられる世界だったのです。
また、戦国の世では「縁」も非常に大切でした。当時の人々は自分の「土地」と「民」に強い縁を感じており、同時に支配者がその場所を支配するためにも欠かせない要素でした。この「縁」というものは彼らがかなり重視したものだったため、仮に大名から見て「この武将は能力的にこっちの領地を任せたいな…」と思っても、領地替えはかなりリスキーなものでした。
実際、放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、光秀の叔父である明智光安が「先祖代々受け継いできた明智荘を手放すことはできない」と反発し、最終的には戦に発展していました。このような例は当時珍しいものではなく、「縁」がなくなればそこに争いが起こることもあったのです。
同時に、例えば外交交渉一つとっても「格式」や「縁」は欠かせないもので、連絡の方法や使者の性質、人間関係への配慮など、表面的な合理性だけでない細やかな配慮も必要でした(私たちから見れば一見合理的でない風習も、当時としては合理的なものだったという例も少なくありませんが)
とはいえ、このあたりを完全に再現すれば、ゲームとしてはストレスフルな仕様になることは間違いないでしょう。最近のシリーズでは多少当時の権威を再現しようという動きもあるのですが、あくまで本シリーズはゲームとして楽しみつつ、現実はゲームのようにはいかないのだということも覚えておいてください。
3.最新の学説は学べない
本シリーズは「信長の野望」というタイトルにもある通り、基本的に信長は「魔王」のような恐ろしさとカッコよさを兼ね備えた存在として描かれます。
しかしながら、近年の研究でいわゆる「魔王的な信長像」は必ずしも彼の実態を捉えていないと指摘されるようになり、もっと「平凡な人」だったのではないかと言われています。
また、彼が実施したとされる数多くの革新的かつ大胆な政策や戦法も、近年ではそもそも存在していなかったり、すでに他の大名が実施したものの焼き増しだったと言われることがあります。
こうした研究の進展がある一方、本シリーズにそれらの知見はあまり反映されていないのが現状です。
「信長の野望なんだから信長はカッコよく描かないと不味いだろう」という指摘はごもっともですが、信長以外の部分でも少し古臭い通説を採用している点は少なくありません。
例えば、「戦国屈指の裏切り者」として悪名高かった松永久秀は、近年になって「将軍殺しも、大仏の焼き討ちもしていない」ということが判明してきており、加えて「平蜘蛛を抱いて爆死した」エピソードは完全なる創作であったと明らかになりました。
しかしながら、私が確認する限りではまだ「裏切りと爆死の人」として久秀が描かれてしまっており、やはりこの点はまだまだだなと感じさせられます。
一方、かつては「白塗りの無能貴族」として描かれてきた今川義元については、近年の研究を反映してスタイリッシュな姿に刷新されたのも事実。歴史ライターとしては、今後もこのように新たな知見が盛り込まれていくことを期待したいです。
3.ノブヤボは「戦国学習の入り口」に最適
信長の野望シリーズには、学べることと学べないことの双方があると分かっていただけたと思います。
しかし、「信長の野望なんてダメなゲーム!歴史の勉強にはならない!」というわけでは決してありません。
上で挙げたような戦国用語や時代の特徴を「楽しみながら」つかむことができるというのは非常に大きく、もし今後歴史の勉強を趣味、あるいは専門的にしていきたいという場合に知識の地盤が形成されているのは強いです。
実際、史学科の同級生から「信長の野望で歴史に興味をもった」という話をよく耳にするので、歴史に興味を持つための入り口として最適でしょう。
単なるゲームとしても高い完成度を誇るので、歴史の勉強に発展させずとも問題はないでしょう。しかし、本作で「歴史の面白さ」に気づいた方は、専門的な勉強も視野に入れてみるといいかもしれませんよ。