4.やたら力を有していて活動が精力的な生徒会・風紀委員
生徒会や風紀委員会の権力がやたら充実しているのもラブコメの特徴でしょう。
たいていの場合、生徒会には誰もがうらやむ完璧な生徒会長(異性)が、風紀委員会には口うるさく真面目な風紀委員(異性)がいて、やはり主人公に惚れます。
ただ、生徒会は百歩譲っても風紀委員の権力強すぎませんか?と思うことも少なくありません。
生徒会に関しては一部の進学校だと本当に自治権を与えられているみたいですが、私の高校では「形式上存在している雑用軍団」というイメージしかありませんでした。
こうした生徒たちの力を強くするのは、学校のイベントごとで彼らと接点をもつように物語を展開しやすいからではないでしょうか。
特に生徒会選挙は作品の山場になることも少なくない印象です。
あ、言うまでもないですが「舞台が学校」もラブコメあるあるですよ。「学生」というだけで描けるイベントの量が段違いになりますから。
5.圧倒的な「屋上」の登場率
舞台が学校になると、ほぼ必ずといっていいほど登場する背景が「屋上」ではないでしょうか。
主人公と異性がお昼をつつくもよし、ミステリアスなキャラを配置するもよし、告白の舞台にするもよしと、非常に使いがっての良い舞台であることがわかります。
しかし、今どきは屋上に立ち入れる学校のほうが珍しいというのが事実。
私も高校時代に屋上へ行った記憶は皆無ですし、恐らく大半の学校がそうなっているのではないでしょうか。
それでも利便性の高さから、ラブコメには欠かせない学校の設備です。
6.基本的に恋愛経験は皆無
ものすごくイケていてかつクラスの中心的な役割を占めている主人公とその周囲の人々は、大半が恋愛に疎い人物として描かれています。
また、「学園のヒロイン・ヒーロー」とはいうものの、実際に彼氏や彼女がいるというパターンはほとんど見かけることがありません。
あ、この「学校中で噂になっているマドンナやイケメン」の存在もラブコメあるあるかも。
それはともかく、ステータスの割にやたら恋愛の経験値が不足している印象があります。
これは「ピュアな面」を望む鑑賞者の願いが反映されていることは言うまでもなく、作品以前の恋愛経験を描くのはもはやタブーとさえ表現できるでしょう。
ただ、現実から考えてみると「明らかにモテそう」にもかかわらずその影がなさすぎるのは、魅力どころか「何かしら欠点や特異な点があるのでは?」という疑いのもとになるだけかも…。
7.事故やハプニングに遭遇する確率が高すぎる
物語を動かすためには「大胆な出来事」が必要とされるため、ラブコメにおいてはいたずらに事故や怪我が多発する印象があります。
特に多いのは交通事故で、キャラが意識不明の状態になるのは割とあるあるでしょう。
ただし、もちろんこれが現実でもあるあるであっては非常に困ります。
また、逆にラッキーなハプニングも少なくありません。
男性向けラブコメであれば着替えを覗く・偶然セクハラをしてしまうという「ラッキースケベ」で、女性向けラブコメであれば雨の日に傘を忘れたことによる「相合傘イベント」が多いかも。
こうして考えてみると、ラブコメの登場人物たちは「事故や怪我が多い」一方で「ラッキーイベントも多い」という実にピーキーな世界を生きていることになります。
ラブコメの世界が羨ましく見えるのは冒頭でも述べたとおりですが、彼らも彼らで苦労しているんですね…。
8.原則として「先に惚れられる」
ラブコメの主人公は原則として受け身な存在であり、たいていの場合異性に惚れられてから物語が進行していきます。
自分からガンガンアタックする!というラブコメは、受け身のものに比べるとかなり少ないハズ。
この辺りは、鑑賞者の「あくまで相手に惚れられたい」という願いが反映されているのでしょう。
自分の力で相手を落とすのも恋愛の楽しさなのだと思いますが、やはり創作の上では楽して惚れられている主人公を見たくなってしまうのでしょう。
あ、私は惚れられた主人公にあまり共感できません。惚れられたことがないので…。
あと、これに関連して「先に動いたキャラは負ける」というのもあるあるかもしれません。
先手を打つキャラはどうしても物語を動かすコマに終わってしまうことが多く、最後の山場でメインキャラに主人公をかっさらわれるイメージがありますね。
9.肝心なところで鈍感になり、耳の聞こえが悪くなる
これは先ほどの「恋愛に疎い」と関係しているのですが、基本的に主人公はやたら鈍感かつ突然難聴の症状を発するイメージがあります。
「主人公と異性が結ばれてしまうと物語が終わってしまう。しかし物語に起伏をつけるために異性のアクションは描きたい!」
という製作者の魂胆がこのあるあるの原因でしょう。
基本的にラブコメは「主人公と異性が結ばれるまで」を描くもので、その後はエンディング一直線というのが一般的です。
現実の恋愛だとそこがむしろスタートラインのような気はしますが、恐らくラブラブしたとしてもギスギスしたとしても、鑑賞者はそれを楽しまないのでしょう。
そこで上記の悪しき症状が現れることになるのですが、この部分を上手くこなせるかどうかが昨今のラブコメではカギになっている印象があります。
某作品のように「キムチ?」などと口走ってしまうと、アンチが急増すること請け合いです。
10.余ったキャラは余りもの同士でカップリングされる
主人公と結ばれる相手が決定すると、余ってしまったor負けてしまったキャラクターたちは別の異性と結ばれることも少なくありません。
そこでは、たいてい主人公の友人や同級生のキャラと結ばれてハッピーエンド感が演出されます。
ただ、現実に置き換えて考えてみると、これは「妥協」以外の何物でもなく、仮に起こってしまえば非常に悲しいイベントになります。
また、下手なカップリングをするとファンの不興を買ってしまうので、制作者としてもここは慎重な選択を要求されます。
もっとも、上記のような製作上の難しさがあるためか、近年のラブコメではこの動きが下火になっている気がしないでもありません。
そのため、制作の都合というよりは、制作者本人がキャラに愛着や思い入れをもってしまい、それが高じてカップリングが生み出されることが多いかも。
3.まとめ
ここまで、ラブコメあるあるの分析と解説を行ってきました。
その作業を経て私が感じたことを素直に述べると
「ラブコメはヒトが思い描く願いの産物なのだ」
ということがよく理解できて面白かったです。
世界中が鑑賞者や制作者にとって実に都合のいい展開や出来事にあふれており、ある意味でヒトの業を感じずにはいられません。
つまり、ラブコメのあるあるは「ラブコメ世界の登場人物」ではなく「現実を生きる我々」にとっての「ご都合主義」なのです。
それゆえに、ラブコメ界そのものを俯瞰してみるとキャラクターたちにとっては生きづらい世界になっていることも少なくありません。
やはり、人間の心というのはどこまでも自分本位なものですね…。
あ、もちろんですが私はラブコメアンチではありません。めぞんとか大好きですから。
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