3.エンタメとしてリアル/フィクションのバランスが絶妙
ここまで読んでいただくと、「海街diaryという作品はリアル一辺倒なんだ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、作中の家庭と同じような環境で育っている私からすれば、これはやっぱりフィクションです。
鎌倉に三姉妹が持ち家をもっているだけならまだしも、なんだかんだ言ってラストは登場人物たちが自分なりの幸福を掴んでいますから。
残念ながら現実はもっと非情なものですし、そこは物語らしさということでしょう。
ただ、誤解のないように言っておくとこれは本作を批判しているわけではなく、むしろ褒めているのです。
確かにリアリティを感じる本作ではありますが、そこには「創作としての面白さ」も確実に存在します。
現実の出来事として考えれば良くも悪くもドラマティックな出来事が多すぎですが、エンタメ作品として考えればそれが実にちょうどいいバランスなのです。
決してリアリティを欠くわけではなく、リアルな世界観を維持しつつ魅力的なイベントを創出する。
これは簡単なことではなく、作者のバランス感覚が優れている何よりの証拠でしょう。
自分の人生を振り返ってみれば、いくらか脚色しないとやはり面白くないと思いますし。
私が体験したような、
母親がぶっ壊れて男とギャンブルにふけり、さらにボロ団地1LDKの家に家族?4人で同棲している終わった環境だが、頑張って勉強して大学に行こうと思ったら男が蒸発して金のあてがなくなった。
最終的には親戚と絶縁し国の公的な借金を利用して大学に行ったと思ったら祖母が不審死し、気づいた時には母が家を出て弟が彼女を連れ込んで同棲しはじめた。
1年近く続いた三人の同棲生活は弟彼女の異常な束縛で幕を閉じ、終わったころには弟が高卒フリーターに、兄が怪しいフリーライターなった話。
をそのまま作品にしてもエンタメとしては失格でしょう?ということですよ。
…書き出してみるとなんだかんだ面白い人生かも(笑)
4.私には作中で描かれる「絆」があまりにも眩しい
本作におけるそもそものテーマは、三姉妹によって山形を連れ出されたすずが、周囲の環境に恵まれて年相応の感性を取り戻していく、というところにあるのだと思います。
そこで描かれる様々な「絆」の存在は、私のような人間にとってはあまりにも眩しすぎるのです。
そう感じる理由としては、感情を失ったすずがしだいに人間の輪を広げて「再生」していく姿を見ていると、「自分にもこのような未来があったのだろうか」とつい考えてしまうためでしょう。
もっとも、私は今の人生に後悔があるとか、そういうわけではありません。
ただ、フィクションとはいえ非常に似た環境からまっすぐに育っていくすずの姿を見ていると、もう決して変わることのない自分の過去に「あったかもしれない」可能性に想いを馳せてしまいます。
この可能性についてさらに補足をしておくと、現時点の私と過去のすずがある意味で対極の存在にあることも大きいでしょう。
皆さんもご存知のように、過去のすずは「内側でさまざまなことを感じていても、それを表に出せない」という生き方を身に着けてしまっていました。
一方、現在の私は「表向きはよく笑い泣くが、心の奥底は恐ろしいほど冷ややか」という生き方をしていると自負しています。
ここからも、「もし中学生の頃に彼女のような素晴らしい経験をしていれば、また違った人生観があったのかもしれない」と思うわけです。
たかだかフィクションの作品で考えすぎというきらいも感じないではないのですが、それだけ色々なことを考えられる作品という事実は揺らがないでしょう。
3.まとめ
ここまで、漫画『海街diary』の感想や自分の人生について語ってきました。
後半は自分語りパートが大半になってしまったため退屈な思いをした方もいらっしゃるかもしれませんが、タイトルからそれとなく匂わせているということでご容赦いただければと思います。
ただ、「私のことを嫌いになっても~」云々ではないですが、この漫画が本当に面白いという事実だけは覚えて帰っていただきたいですね。
来年の今頃には京都人になっているかもしれないので、今のうちに鎌倉観光でもしてみようかな…。
プチ旅に出たら必ず記事にすると思いますので、半信半疑でお待ちいただけますと幸いです。
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