全ての「察せない人」に送る、空気が読めないまま社会で生きていくための対処法

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4.自分が察せない人であると、絶えず周囲に「警告」する

ちょっと卑怯な戦法になってしまいますが、自分が「察せない」ということを絶えず周囲に「警告」することは意外と大切です。

なぜなら、基本的に他人は「察せる人」であることをある程度前提として交流を図ってくるのであって、何も告げないまま空気の読めない行動に出るとより落胆されてしまうため。

どちらにせよ察することはできないのですから、ここは思い切って「自分が察せない部類に入る」ということをアピールしていきましょう。

そうすることによって、相手も我々にわかるような文字や言葉による直接的表現をしてくれるかもしれませんし、何か失敗をしでかした場合も「そもそも期待されていない」という状況を作り出せれば、ダメージが相対的に低く抑えられます。

さらに、親切な人であれば「あれに気づいていないのは問題」とか「さっきのは言ってはいけないことだった」というように、一人では気づきにくい部分を指摘してくれることも。

人によっては快く思われないこともあるので使い時を見極める必要はありますが、相手に周知することでグッと生きやすくなるでしょう。

5.相手が「察せない」かもしれないと意識し、言葉や文字で伝える努力をする

最後は、ある意味「察せない人」だからこそできる生き方で、相手もまた「察せない人」かもしれないという意識を忘れないことです。

自分自身が「察せる」と認識されて生きづらさを感じているのですから、他者に同じ思いをさせるのはマナー違反。

また、自分にできないことを他人に求めているのもいただけません。

「察せない」ということが原因で評価を下げている人の心情を理解できるのも、自分自身が察せない我々らしさなのかも。

さらに、自分が察せなくて苦しんでいる以上、相手には極力「察する余地」を与えない接し方もできるでしょう。

例えば、目線や遠回しな表現でそれとなく意向を伝えるのではなく、直接的な文字や言葉で言いたいことを伝えるとか。

もちろん、何でも直接的に言えばいいというものではありませんが(ましてや、察せない人が)、接し方に一工夫加えてみるのは悪いことでもないと思います。

2.「察せない」ことは長所でもある

ここまで、「察せない人」である私が実践し、それぞれ一定の効果を挙げてきた対策を語ってきました。

私を含め、「察せない」ことに苦しんでいる方は多いでしょうし、同時に「察せない隣人」に迷惑している方も多いと思います。

しかし、この「察せない」「空気が読めない」ということは、決して悪いことばかりでもありません。

「察せない」ということをよく言い換えると、「周りに流されない」や「集中力がある」とも表現でき、生きていくうえでプラスに作用することも。

実際、私は察せないことで苦労していると同時に、察せないことによって自分の人生がかなり生きやすいものになっているという自覚があります。

周囲の雑音が全くといっていいほど気にならないので、今では「察せない人でよかった…」と考えるまでになりました。

しかし、仮に私が「察せない」ことを改善できていれば、こうした境地に至ることはなかったかもしれません。

察せることは、裏を返せば周囲に対して否応なく敏感であるということ。

何事にも言えることではありますが、長所と短所は表裏一体です。

今では、そんなことを冷静に考えられるようになりました。