野球の歴史を学ぶと「社会」が分かる?大学で研究した私が語る野球史の魅力

歴史

人文系の学生は「卒業研究」をするにあたって、自分なりのテーマというものを考えることになると思います。

私もかつてその問題に直面し、そして自分が好きだった「野球」について研究すると心に決めました。

しかし、私が所属していたのは文学部の歴史学科。

一見、スポーツとは縁もゆかりもありません。

ところが、実は「野球の歴史を、歴史学的な視点から考察する」ことで、「野球史」という一つの学問として研究することができるのをご存じでしょうか?

実際、私は「日本における東京六大学野球の人気について」という論文を出して大学を卒業。現在もフリーライターとして野球史にかかわる記事をいくつも書いています。

そんな私が、「野球を学術的に研究してみたい!」、あるいは「そもそも野球史って何なの?勉強する意味あるの?」と思っている方のために、野球史という学問の現状やその意義、学習の手引きをまとめてみました。

1.野球史に限らず、歴史的アプローチによるスポーツ研究が盛んとは言えない

まず初めに、そもそも「野球史」とは「スポーツ全体の研究におけるいち分野」に過ぎません。そのため、現代における野球史の立ち位置を明確にするためには、学術領域におけるスポーツ研究の全体像に迫る必要があります。

日本におけるスポーツ研究は、近年に至るまでとても盛んとは言い難い状況にありました。古くからスポーツは「学生たちのためのお遊び」として捉えられ、学術研究の対象と見なされることはまれだったためです。

しかし、現代になって世界(特にアメリカ)で「スポーツビジネスの可能性」が注目されるようになると、経済的な側面からスポーツの研究を行う動きが活発になりました。

加えて、主に理系の分野(物理学、医学など)ではスポーツ研究が完全に分野として確立し、「スポーツ〇〇学科」や「健康〇〇学科」などのように体系化されていったことは、各種上級学校の学部学科からも推察可能です。

が、一方で狭い領域の「歴史学や社会学の視点からスポーツを研究する」という人文系の領域では現代でも研究が盛んとは言い難く、この分野を専門にしている先生の名前は片手で数えられるかもしれないほど。

大学で研究されていない代わりにスポーツライターや在野の研究者による書籍もありますが、学術的な観点から確かな質を誇るものは極めて少ないと言わざるを得ません。

そして、当然ながらジャンルを「野球」に絞ると、その数はさらに減少します。

私が論文や記事を書く上でよく参考にする書籍やサイトは文末でまとめて紹介しますが、たぶん挙げたものでほぼ網羅できていると思います。

研究全体の質は研究の総量に左右されるところがありますので、現状はあまりよいものではありません。

2.野球史を研究すると得られる2つの視点

私は野球史を研究することで得られるものがたくさんあると考えていますが、一方で、

・野球は好きだけど、その歴史には興味がないなぁ…
・野球の知識はあくまで趣味にしかならないでしょ~
・そんな下らないことをやってないで政治の勉強でもしてろ!
という声があることもよく承知しています。
しかし、注目していただきたいのは「野球」というスポーツが紛れもなく国民的競技であるということ。単なるスポーツと言い切るのはとても難しいのです。
競技としての注目度や経済規模は他に並ぶものがないうえ、私たちにとってかなり身近な存在である野球。
ここから学べることは、決して少なくありません。

1.戦前~現代に至る社会や経済を、スポーツという視点から見直せる

皆さんは、「野球」というスポーツがとにかく政財界やメディアとの強い結びつきを理由に発展してきたことをご存じでしょうか。

例えば、甲子園大会を発足させたのは朝日新聞社(当時は大阪朝日新聞社)ですし、野球選手である王貞治を称えるために創設されたのが国民栄誉賞。加えて、現代のプロ野球球団を運営する会社はどれも超一流の大手企業です。

以上の点から、「野球」というスポーツがいかに日本社会の広範な点に影響を及ぼしているかは理解できるでしょう。

しかし、こうした日本社会との強い結びつきは、時に「スポーツとしての野球」のあり方さえ左右するようになってきました。

上に挙げた点に関連付けるならば、甲子園大会は「商業主義化」が過剰になり、必ずしも球児たちにとって理想的とは言えない環境で大会が開催されているという問題があります。国民栄誉賞は「政府の人気取り政策」と揶揄されるようになり、権威が揺らいでいるという報道も。加えて、プロ野球を運営する大企業が経営難に陥り、「球団をどうするのか」という点で大きな騒動を引き起こしたこともありました。

このような事態に直面したとき、「野球が過去にどのような歴史をたどってきたか」を研究していると、現在の課題と相対化して考えることができます。

少し話は変わりますが、拙著の中で取り上げた面白い事例を引き合いにプロ野球を考えてみましょう。

例:球団名から見る「地域密着意識」の変化

まず、プロ野球の各球団には、言うまでもなく「球団名」があります。読売ジャイアンツや、阪神タイガースのように。

しかしながら、球団名というのは常に一定であったわけではなく、球団の歴史を見ていくと何度も変化しているチームがほとんどであることに気づかされます。

具体的に比較していきましょう。

巨人がV9を成し遂げた1973年、セ・リーグの6球団は

・読売ジャイアンツ
・阪神タイガース
・中日ドラゴンズ
・ヤクルトアトムズ
・大洋ホエールズ
・広島東洋カープ
という顔ぶれでした。一方のパ・リーグは、
・南海ホークス
・阪急ブレーブス
・ロッテオリオンズ
・太平洋クラブライオンズ
・日拓ホームフライヤーズ
・近鉄バファローズ
の6球団。
皆さんはこの全12球団の「球団名」を見て、どんなことに気づくでしょうか。
恐らく、少しでも野球の知識がある方なら「あ、特にパ・リーグは今と球団名が全然違うな」という点にはお気づきになるでしょう。実際、現在も全く同じ球団名で運営されているチームはなく、唯一ロッテだけがその名前を今にも残しています。
球団名の変化は、球団を運営する親会社が変化したことにより生じました。例えば、南海ホークスは当時南海電鉄が運営していましたが、現在ではソフトバンクの運営によって球団は成り立っています。
企業が球団を運営する理由には「自社の名前を売る」というものがありますから、当然ながらソフトバンク運営の球団に「南海」を名乗らせるわけはありません。したがって、現代では「ソフトバンクホークス」という球団名に変化しています。
しかし、このチーム名一覧を見て、私はさらにもう一つのことに気がつきました。
そう、現代においてパ・リーグのチームは、球団名の前に「地域名」をつけているのに対し、1973年にそのようなチームがないことに。
実際、2019年現在のパ・リーグ6球団を見てみると、
東北楽天ゴールデンイーグルス
埼玉西武ライオンズ
千葉ロッテマリーンズ
福岡ソフトバンクホークス
・オリックス・バファローズ
北海道日本ハムファイターズ

と、実に5球団が球団名の先頭に地域名を冠していることが分かります。

そしてこれは、もちろん偶然ではありません。球団名の背景には、パ・リーグ全体による「地域密着」の理念が表れていると考えるべきです。

実際、球団名に地域を入れれば自分たちの企業カラーは若干薄まってしまいますし、自社の宣伝だけを考えるなら得策ではありません。それでも地域名を入れる理由は、自分たちが「地域の球団」であることを名前から表し、その地域の人々に応援してもらうためでしょう。

そしてこれは、かつて「不人気だ」としてセ・リーグに差をつけられていたパ・リーグなりの「生存戦略」です。現代でも、読売ジャイアンツや阪神タイガースは地域の名前を冠していません。

それは、端的に言ってしまえば、地域密着を名で表わすまでもなく、かなり広範囲で人気を博しているから。巨人は全国区ですし、阪神も地域密着を叫ばなくても関西圏では完全に文化として根付いています。

こうした状況下において、90年代~00年代初頭にパ・リーグ各球団は「全国区になれないなら、その地域で一番になればいい」と方針を転換します。ここには、リーグの理念として「地域密着」を徹底的に掲げ、「セ・リーグ>パ・リーグ」と同じように「野球>サッカー」という図式を逆転させるまではいかなくとも、独自の戦略によって立ち位置を築いたJリーグの方針が影響しているかもしれません。

…というように、野球を研究していると、球団名の変化というこれだけの情報から様々な気づきを得ることができます。野球史の勉強も、意外と面白いと思いませんか?

※ちなみに、パ・リーグで唯一球団名に地域を冠していないオリックスは、観客動員数で最下位をひた走っています。西武やロッテはどうしても首都圏に近いので「おらが町」意識が薄いのですが、他の三球団が各地域で独自の地位を築いていることからも、成功の分かれ目が「地域に密着できるか否か」であると言えるのではないでしょうか。

2.「昔は良かった」的な言説を批判的に見れるようになる

野球界だけの話ではないのですが、往々にして「あの頃は良かった。それに比べて今は~」という、懐古おじさんの存在が槍玉に挙げられます。

もちろん、キチンとした論拠に基づいたうえで「昔のほうがいい」というなら話は分かります。

しかし、一方で昔を過剰に美化、あるいはよく知らないまま「昔は良かった」という発言をする人は決して少なくありません(とくに、野球の場合は「甲子園」について言及されることが多いでしょうか)

仮に野球の歴史に関する知識がないと「なるほど、それなら今の甲子園はいかん!」という考えになってしまいがちです。

が、果たしてそれが本当に事実なのかはよく考える必要があります。

例:学生が野球をするだけで批判された時代がある?

現代では、「スポーツマン=健康的で快活な人」というイメージが定着しており、中でも野球少年は「純真」であると語られがち。

それゆえに、ひたむきに夢を追う高校球児は人々の熱狂的な支持を集めるのです。

ところが、野球をする人が好意的に受け止められるようになったのは、主に戦後になってからということをご存じでしょうか。

戦前の日本においては、「野球=学生の娯楽」としか考えられておらず、大人が野球をするなど笑いものでしかないと考えられていたのです。加えて、学生の野球についても認められたのは昭和に入ってからで、それまでは「不良がやるもの」という認識をされていました。

具体例を挙げてみましょう。

明治時代、東京朝日新聞(現在の朝日新聞)の紙面において、「野球と其害毒」という連載企画が組まれました。この連載は、新渡戸稲造や乃木希典といった当時の知識人を集め、「いかに野球というスポーツが害悪なものか」をひたすら輪番で語っていくという現代ではとても考えられないものでした。

その内容も、「学生が野球に熱中するために、学業が疎かになっている」という的を射た批評がないわけではありませんでしたが、新渡戸は「野球は変化球や盗塁で人を騙すスポーツ。卑怯者のやることで、学生の娯楽としても最悪だ」と、私たちが考えればずいぶん的外れな批判をしています。

もっとも、論者である新渡戸ら以上に悪質な攻撃を繰り広げたのは、他でもない版元の東京朝日新聞社。そもそも、野球に批判的な人たちだけを集めて「野球を攻撃するための連載」を組むこと自体がメディアとしての中立性を著しく欠いた行為であるわけですが、彼らはさらに「意見の捏造」にも手を出しました。

早稲田大学には河野安通志という名選手がいたのですが、東京朝日は卒業後の彼の言葉として「学生時代に野球ばかりしたことを本当に後悔している」という旨の文章を掲載。しかし、これを知った河野は猛抗議を繰り広げます。理由は単純明快で、彼は野球をしていたことを全く後悔していませんでしたし、これは東京朝日による捏造だと気づいたからです。そして、河野の言葉に呼応するように当時の野球関係者たちも抗議の意思を示し、東京朝日側も捏造を認めて謝罪することで一応の幕引きとなったのです。

上記の騒動は「野球害毒論争」として現代に伝わり、草創期の野球界を見る世間の冷ややかな目を象徴しています。

こうした事実を知ると、果たして本当に「昔の野球界は良かった」と言えるのか、という疑問を抱きます。野球をしているというだけで世間に嘲笑され、新聞紙面上で捏造のコメントまで出される世の中が、理想的なものだとはとても思えません。

3.野球史研究に役立つ施設・データ・参考文献

上記の二例でも少し触れられましたが、野球史の研究はたいへん意義のあるものだと感じています。

なので、「野球の研究をしてみたい!」と思った方のために、最後に「野球史研究に役立つ施設・データ・参考文献」をまとめてみたいと思います。

何度も書いているように研究があまり蓄積されておらず、かつ可能性のある分野だと感じているので良くも悪くも先行研究が少なく、比較的容易に研究を整理し、独自の説を唱えられる環境にあります。

学部生レベルでも独自研究にチャレンジできる数少ない分野なので、ぜひ卒業論文などで扱ってみてはいかがでしょう?

1.野球史について知るなら、野球殿堂博物館は外せない

まず、野球の歴史を知るうえでの最重要施設が、東京ドーム内にある「野球殿堂博物館」です。

ここには野球伝来以後の野球史に関する希少資料がいくつも置いてあり、体系的かつ分かりやすく歴史を学ぶことができます。

加えて、同施設の資料室は野球関係の書籍が膨大に集められていますので、研究をするうえでも欠かせない施設です。

詳しくは、こちらの記事をご覧ください。

2.野球に関するデータ類

以下では、研究をするうえで役立つ公的なデータ・統計資料をまとめています。

日本高等学校野球連盟「大会入場者数 選手権大会」
http://www.jhbf.or.jp/sensyuken/spectators/

同著「部員数統計(硬式)」
http://www.jhbf.or.jp/data/statistical/index_koushiki.html

全日本大学野球連盟「加盟校数および部員数」
https://www.jubf.net/info/playernum.html

同著「全日本大学選手権大会記録(優勝・準優勝校一覧)」
https://www.jubf.net/records/championship_champion.html

日本野球機構「セントラル・リーグ年度別入場者数(1950-2018)http://npb.jp/statistics/attendance_yearly_cl.pdf

同著「パシフィック・リーグ年度別入場者数(1950-2018)」http://npb.jp/statistics/attendance_yearly_pl.pdf

3.参考文献

同じく、以下に研究の助けとなる参考文献を挙げていきます。

【年鑑・年史類】
朝日新聞社編『全国高等学校野球選手権大会 70年史』朝日新聞社・日本高等学校野球連盟、1983年。
朝日新聞社百年史編修委員会『朝日新聞社史』朝日新聞社、1991年。
慶應義塾野球部史編集委員会編『慶應義塾野球部百年史』慶應義塾体育会野球部三田倶楽部、1989年。
駿台倶楽部編『明治大学創部100年史』駿台倶楽部、2010年。
東京大学野球部一誠会編『東京大学野球部90年史』東京大学野球部一誠会、2010年。
東京六大学野球連盟編『野球年鑑』昭和50年号-昭和62年号、東京六大学野球連盟、1976年~1987年。
飛田忠順編『早稲田大学野球部百年史』早稲田大学野球部、2002年。
日本学生野球協会『日本学生野球史』日本学生野球協会、1984年。
法政大学野球部 法友倶楽部編『法政大学野球部90年史』法政大学野球部 法友野球倶楽部、2005年。
ベースボール・マガジン編『東京六大学野球 1979』ベースボール・マガジン社、1979年。
ベースボール・マガジン編『東京六大学野球 1978』ベースボール・マガジン社、1978年。
毎日新聞社編『選抜高等学校野球大会65年史』日本高等学校野球連盟、1994年。
読売新聞100年史編修委員会『読売新聞百年史』読売新聞社、1976年。
立教大学野球部『立教大学野球部史』立教大学野球部、1981年。

【一般書籍】
有山輝雄『甲子園野球と日本人 メディアのつくったイベント』吉川弘文館、1997年。
池井優『野球と日本人』丸善、1992年。
菊幸一『近代プロ・スポーツの歴史社会学-日本プロ野球の成立を中心に-』不昧堂出版、1993年。
坂上康博『にっぽん野球の系譜学』青弓社、2001年。
玉置通夫『甲子園球場物語』文藝春秋、2004年。
永井良和・橋爪紳也『南海ホークスがあったころ:野球ファンとパ・リーグの文化史』紀伊国屋書店、2003年。
中島隆信『高校野球の経済学』東洋経済新報社、2016年。
中村哲也『学生野球憲章とはなにか:自治から見る日本野球史』青弓社、2010年。
波多野勝『日米野球史―メジャーを追いかけた70年』PHP研究所、2001年。
ベースボール・マガジン編『激動の昭和スポーツ史① プロ野球編上-激動の昭和スポーツ史⑥ 大学野球編』ベースボール・マガジン社、1989年。
丸屋武史『嘉納治五郎と安部磯雄:近代スポーツと教育の先駆者』明石書院、2014年。
大和球士『真説日本野球史 明治篇‐昭和編その8』ベースボール・マガジン社、1977-1981年。
山室寛之『プロ野球復興史:マッカーサーから長嶋4三振まで』中央公論新社、2012年

【論文】
金崎泰英「学生野球創生期から現代にいたるまでの行動規範の検討 : 学生野球憲章の制定・改正の歴史的経緯を辿って」、新潟大学機関リポジトリ(博士論文)、2015年、http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/32153/2/h26zkk16.pdf
田中励子「甲子園と郷土アイデンティティ」『高校野球の社会学』世界思想社、1994年。
中村哲也「近代日本の中高等教育と学生野球の自治」一橋大学機関リポジトリ(博士論文)、2009年、http://hdl.handle.net/10086/18586

その他に、朝日・読売・毎日の三大新聞や野球雑誌なども活用すべきでしょう。どうしても研究論文は少ないので、雑誌やウェブサイトから情報を引っ張ってくる必要があります。