さて、本日は遅ればせながらFate第二章の前編にあたる劇場版『Fate/stay night [Heaven‘s Feel]Ⅰ.presage flower』(Fate第一章)の感想と考察について書いていきます。
順番が前後してしまった理由としては、HF第二章の記事が大変好評を博しているようなので、急遽すでに視聴済みだった第一章の記事を書くことにしたためです。
そのため多少内容が前後するところもありますが、ご了承ください。
なお、ネタバレ満載です。
加えて、最低限原作であるゲームの「Heaven’s Feelルート」を攻略したうえで第一章を観ていただくことを強く推奨します!
その理由は、原作ファンに嬉しい要素がほとんど映像化されている一方、理解していないと話がよく分からなくなってしまう世界観の解説などはだいぶ削られているためです。
これは第一章でも同じです。では、本編に参りましょう!
1.映画Fate第1章 [Heaven‘s Feel]の感想(ネタバレ有)
まず、私としては原作の性質上極めてアニメ化の難易度が高いであろう桜ルートを映像化しようとした決断そのものを高く評価したいです。
現在の型月ならびにufoは飛ぶ鳥を落とす勢いで好調な売り上げを記録しています。
そのため、売り上げのことだけを考えるのであればこれほど難易度の高いルートをわざわざアニメ化する必要はないわけです。
加えて、ZeroやFGOなどによって普及しているFateイメージとは必ずしも合致しない物語でもあります。
こういった諸条件を踏まえてもなおアニメ化したというところに、製作陣の心意気を感じます。
そして、その想いはしっかりと作品のクオリティに昇華されていたといっても過言ではない傑作に仕上がっています。
1.桜と士郎の出会いに力を入れるという構成が至高
画像出典:https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1511835785
まず、今作の出来を決定づけたのが導入部分で長尺をとって映された桜と士郎の出会いを描いた一連のシーンでしょう。
原作ではこうしたなれそめはテキストで少し触れられるのみで、その詳細を知りたいというのはファンの望みでもありました。
映像化でファンの望みとピントがずれてしまう原作付きの作品は枚挙にいとまがないですが、スタッフはファン心理を本当によく理解しています。
というより、恐らくスタッフそのものが熱心なファンなのでしょう。やはり、スタッフが作品を愛しているということは非常に重要な要素であると実感します。
さらに、HFというルートを映像化するにあたって、シーンを削るのではなく増やすという決断はまさしく英断といえます。
その理由としては、そもそも原作ルートは完成度こそ高いものの、プレイ時間にして40時間近くを要求してきた記憶があります。
そのため、映像化にあたってはまずシーンを削りつつ要所を抑えるということを考えなければならないはずです。
そういった状況でシーンを増やすという発想自体がもう素晴らしいのです。
もちろん、内容そのものも素晴らしいの一言でした。
内向的だが頑固な桜と、どこか虚無的な士郎に、複雑で倒錯した感情を抱える慎二。
第二章を観ている今なおさら実感しますが、三人の今後を暗示するような過去の姿でした。
2.FateルートやUBWルートと共通する場面を端折ったのも良判断
画像出典:https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0130/nij_190130_5019925653.html
上でも述べているように、今作はシーンを削るどころか増やすという英断を下しています。
そしてある意味でその犠牲になったのが、FateルートやUBWルートと共通する場面、つまり士郎がセイバーと出会ってマスターになるまでの一連の流れです。
もちろん原作ではこのシーンがフルで存在するので、言ってしまえば原作改変になります。
しかし、今作でこの改変が許されたのはHeven’s Feelルートの立ち位置がゆえでしょう。
そもそも、原作でもHFルートにたどり着くためには、セイバーと凛ルートを攻略済みでなければなりません。
したがって、HFルートはギャルゲーでいうところの真ルートであり、推理小説の種明かし編にあたるわけです。
つまり、この図式を映画にあてはめると、視聴者は士郎とセイバーの出会いは既に知っているという前提が成り立つのです。
そのため、客層を既にFateのゲームをプレイ済みのファンに絞っているというのが本作の特徴になります。
もちろん、これはFateが人気原作であるがゆえにできたことでしょう。
通常であれば一見さんお断りの構成ではお客さんを集められませんからね。
Fateの人気を最大限生かしてファンを満足させる構成をしたという采配は実に見事でした。
3.全体を通じて増やすところと削るところの判断が素晴らしい
感想の本論に入る前に、少し読者が抱きそうな疑問にお答えしておきましょう。
先ほどから今作の構成を褒めてばかりと思われるかもしれませんが、逆に言えばそれ以外の点は今さら褒める必要がないのです。
そもそも公開前の私にとって最大の関心(心配事)はとにかく構成がうまくできているか、という一点であり、それ以外に関しては全く心配していませんでした。
ストーリーが面白いのは原作で知っていますし、アニメとしての作りもufoであれば外してくることはないと思っていました。
そのため、構成の課題さえクリアしてくれれば問題ないと思っていましたし、同時にそれが一番難しいことも理解していました。
そしてそこを易々とクリアしてきた上に、今作の他の部分も期待どおりでした。
つまり、作画や音楽、ストーリーなどを今さら褒めないことは製作陣への信頼の証なのです。
さて、見出しの内容に戻りますが、先ほどから何度も言っているように増やすシーンが多かったことがまず素晴らしいです。
例えば、ランサーVSアサシンのシーンなどは代表的でしょう。
原作では文字通り秒殺されてしまいますが、映画ではある程度の健闘を見せています。
原作のように今までの2ルートで強さを見せていたサーヴァントがあっさり倒されるのも悪くはないですが、映画の起伏という意味であそこに戦闘シーンをもってきたのは良い判断だと思います。
中盤で戦闘シーンを挟むことによって中だるみを防ぐとともに、影の脅威を引き立てています。
一方、原作と比べるとこうしたシーンを追加するために大幅なカットが行われていますが、いち映画として観ている分には全く気になりません。
もちろん全部映像化されれば言うことはないのですが、それは無理難題というものでしょう。