映画『華麗なるギャツビー2013』のあらすじ・感想!小説版や1974年版とも徹底比較

マンハッタン映画

さて、本日は以前下記の記事内でも取り上げた20世紀アメリカの歴史的文学作品『華麗なるギャツビー』を原作として、2013年に公開された同名映画のあらすじや感想を書いていきます。

今作は過去にも1974年に映画化されており、小説版や旧映画版との比較を中心に記事を書いていこうと思います。

なお、記事の性質上ネタバレにはご注意ください。

それでは、本編に参りましょう!

追記:この度私が立ち上げた古典文学専門サイト「古典のいぶき」にて、『華麗なるギャツビー』の小説版を詳細に紹介しています。

もしよろしければ、ぜひこちらのほうもお読みいただけますと幸いです。

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1.映画『華麗なるギャツビー2013』の作品紹介

監督:バズ・ラーマン
脚本:バズ・ラーマン、クレイグ・ピアース
原作:F・スコット・フィッツジェラルド
公開:2013年6月14日
上映時間:143分
製作国:アメリカ合衆国、オーストラリア
予告編はこちらです。

動画出典:https://www.youtube.com/watch?v=UCTPF4DivkA

見ていただけるとお分かりかもしれませんが、1920年代の小説を映画化したわりにはかなり豪華絢爛な映像を感じられます。

これは、原作がそもそも狂乱の時代を描いており、原作通りの演出といえます。

それも相まって映画そのものに古臭さは全く感じませんし、今後もそう感じるまでには長い時間を要するでしょう。

2.映画『華麗なるギャツビー2013』のあらすじ

華麗なるギャツビー メインビジュアル
画像出典:https://pixiin.com/work/593/

主人公のニック・キャラウェイは、中西部出身でイェール大学を卒業後ほどなくして戦争に従軍し、休戦ののち故郷へと帰ってきたものの、そこで孤独感を覚えた。

時代は狂騒の20年代のアメリカ。彼は証券会社で働くことを口実に、1922年ニューヨーク郊外のロング・アイランドにあるウエスト・エッグ(英語版)へと引っ越してくる。

隣の大邸宅に住んでいる人物は毎夜豪華なパーティーを開いている。青みを帯びた庭園には男たちや女たちが蛾のように集まって、ささやきやシャンパンや星明かりの下を行き交った。

その屋敷の主がジェイ・ギャツビーという人物であると知り、興味を持つ。

ある日ニックはギャツビーのパーティーに招かれる。しかし、そのパーティーの参加者のほとんどがギャツビーについて正確なことを知らず、彼の過去に関して悪意を含んだ噂ばかりを耳にする。

やがてニックはギャツビーが5年もの間胸に秘めていたある想いを知ることになる。

出典:Wikipedia

ストーリーそのものは、小説版も新旧映画版もほぼ同一です。

原作のストーリーは言うまでもなく秀逸であり、現代でもその価値は変わりません。

そのため、特に改変する必要はないという判断だったのでしょう。これは正しい判断だと思います。

3.映画『華麗なるギャツビー2013』の感想・比較(ネタバレ有)

ここからは、感想や比較そのものに入っていきます。

ただ、ストーリーが素晴らしいという内容については言うまでもなく、それは原作小説が今でも歴史的名著に数えられていることからもわかります。

そのため、共通するストーリー部分についての感想・考察は省略させていただきます。

また、本作視聴前でも後でも構いませんが、ぜひ一度小説版をお読みになることをオススメします!

1.キャスティングは1974年版よりも合っていたように思う

今作の特徴は優れたキャスティングにあると思います。

私が今作を視聴しようと思った動機も、ジェイ・ギャツビー役をレオナルド・ディカプリオが演じているということでした。

華麗なるギャツビー ギャツビー
画像出典:ggjapan

実際に予告を観たところ、自分の中で思い描いていたギャツビー像と重なる部分が多かったという印象が残りました。

原作において、ギャツビーの人間性は「金持ちだがお上品という感じではなく、野心家な一方ものすごく純粋な部分もある男性」というように描かれていました。

結果的にこの役を演じたディカプリオは、優れた演技力と外見的特徴から小説ファンからしても納得のギャツビーを演じていたように思えます。

一方、旧映画版ではギャツビー役をロバート・レッドフォードが演じていました。

華麗なるギャツビー レッドフォード

画像出典:bookriot

レッドフォードは好きな俳優ですし、スティングや明日に向かって撃てなどで俳優としての演技力も証明しています。

ただし、ギャツビーを演じるには少し上品すぎるきらいがあり、ディカプリオにはあったギラギラした野心家としての一面が表現しきれていなかった印象があります。

そのため、キャスティング部分に関しては今作に軍配が上がるという印象を受けました。

2.パーティーシーンの様子と衣装の美しさが現代風になっていた

今作はギャツビーの催すパーティー部分の描写にも特徴がありました。

小説でも豪華絢爛な一方で下品とも思えるようなシーンとして描かれていたので、そこは十分に再現されています。

華麗なるギャツビー パーティー
画像出典:https://pc.video.dmkt-sp.jp/ti/10006296

加えて、現代に生きる我々にとっても「不快にも思えるパーティー」にアレンジされていました。

恐らく、当時実際に行なわれていたパーティーの様子をそのまま再現しても、我々にとってはそれほど印象に残らないという判断なのでしょう。

もちろんアレンジについてはいろいろな意見があると思われますが、私としてはやむを得ないものだったかな、という印象です。

実際に、小説でもこのパーティーは「馬鹿らしいもの」として描かれているので、脚本の都合上我々がそう感じる必要があるためです。

旧作は先ほどキャスティングの項でも触れたように上品すぎるきらいがあるため、このシーンも今作のほうが優れているとは思います。

ただし、今作は衣装の質もやや現代的にアレンジされており、その点に関しては上品さを感じられる旧作のほうがより美しかったようには思えます。

また、今作は色彩やシャープネスがかなり強めなのも映像面の特徴で、眼が痛くなるような色合いが多かったのは「やりすぎ」感が否めないことも事実です。

3.ハリウッド的演出がマイナスに作用するシーンも

ここまで今作の特徴をみてきて、その多くは「ハリウッドの大作」によくみられるものだったことにお気づきの方もいるでしょう。

私も鑑賞した際は、ハリウッド的手法で製作されたことにより、良くも悪くもハリウッドの大作らしい内容になっていると感じました。

この影響は映画全体にみられましたが、先ほども述べたように前半のパーティーシーンなどでは「良い意味での下品さ」がシーンに説得力をもたせていました。

ただし、こうしたハリウッドらしさが「常に」発揮されてしまっていたことによる問題もありました。

つまり、もっと上品かつ大人しく再現してほしかったシーンでの演出や撮影技法はいま一つで、上記のような「くどさ」が邪魔だったように感じます。

例えば、ギャツビーが一人佇むシーンや、デイジーが事故を起こした後のシーンなどはもう少しやりようがあったような気がします。

実際にそうした「静」が求められるシーンの質は旧作の完勝であり、そこは評価が分かれるところです。

4.まとめ

ここまで、小説と旧映画版などとの比較を中心に今作を解説してきましたが、いかがだったでしょうか。

小説版を読んで、あるいは映画から『華麗なるギャツビー』を観ようとした方は、

「新作と旧作のどっちを観ればいいんだろう」

と感じているかもしれません。実際に私もそうでした。

その点に関して、結論からいえば、

「どちらにもいい点と悪い点があるので、両方観るか自分に合いそうなほうを観る」

というのがよいかもしれません。

この記事でも述べているように、「豪華絢爛さや派手さを求めるのであれば今作」「上品さや静けさを求めるのであれば旧作」を観るのが一番いいと思います。

ただし、先ほどから何度も書いていますが小説原作はこのどちらの要素も内包した傑作なので、まだ一度も原作に手を付けていない人は先に小説を読んだほうがいいです。

身もふたもないことを言ってしまうと、読書に抵抗がなければ原作が圧倒的に一番面白いので。

映画版はむしろ原作を知ったうえで「映像化するとどういう形になるのか」というのを楽しむファンアイテムのような側面が強いようにも思えます。

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