最近は記事を書いてばかりで、あまり新しい映画を観れていなかったのですが、やっと一作観れました。
それは『ビフォア・サンライズ(恋人までの距離)』(原題:Before Sunrise)という映画です。
本作を観ようと思った理由は2つあります。
まず1つは、Amazonプライムの見放題ビデオ・映画リストから、今月半ばには外れてしまうということです。
特に次に観たい映画は決まっていなかったので、そのような些細なキッカケも大事でした。
もう1つは、ラブストーリーながら「淡々と恋人同士の行動が描かれるだけ」という感想を見かけたことです。
もちろん、「海を越え山を越え、病気のヒロインに薬を持ち帰る」みたいな壮大な物語もいいんですけど、今の気分的に少し落ち着いた映画が観たかった私にはうってつけでした。
そして結論からいえば、予想よりもずっと面白かった名作だと思います。
1.『ビフォア・サンライズ』のキャスト・監督などの基本情報
画像出典:https://www.happyon.jp/before-sunrise
出演者:イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー
配給:コロンビア映画
公開:1995年1月27日
上映時間:105分
製作:アメリカ合衆国
この映画は、とにかくイーサン・ホークの演じるジェシーと、ジュリー・デルピーの演じるセリーヌの二人に対して徹底的に焦点が当てられているのが特徴です。
そのため、「一風変わっているようで、ものすごくリアル」なラブストーリーが展開されることになります。
youtubeにWarner Brothersの公式予告版(英語)が公開されていましたので、リンクを掲載しておきます。
英語ができない方でも、雰囲気はつかめたかと思います。
こうした演出が高評価され、監督のリチャード・リンクレイターはベルリン国際映画賞の監督賞を受賞するなど、評論家の評価も高い映画です。
そのため、続編が後に三作製作され、「ビフォア・シリーズ」として認知されるようになりました。
2.『ビフォア・サンライズ』のあらすじ
画像出典:FRAGMENTS
アメリカ人青年ジェシー (イーサン・ホーク) と、ソルボンヌ大学に通うセリーヌ (ジュリー・デルピー) は、ユーロートレインの車内で出会った瞬間から心が通い合うのを感じる。
ウィーンで途中下車した2人は、それから14時間、街を歩きながら語り合い…そんな自然な会話の中から、彼らの人生観、価値観、そして心の奥の微妙な揺れ動きが見え隠れする。
でも別れのときはもう迫ってきていた…。
出典:https://www.happyon.jp/before-sunrise
3.『ビフォア・サンライズ』の感想・見どころ
この映画は、当初「恋人までの距離」というサブタイトルがタイトルとして用いられていた経緯があります。
そのため、この「距離」と「時間」という二つの問題が、映画の根幹にあります。
作中でも言及されますが、二人の関係は当日に出会って、翌日に別れるというもの。それゆえに、まずはお互いのことを知ろうと、基本的なことを質問する。
特に、二人が電車を降りるシーンまでお互いの名前を知らないというのが、「旅先の出会い」を象徴していて非常によかったです。
1.人間版ナショナル・ジオグラフィックに価値はあるのか?
作中の冒頭に、ジェシーとセリーヌはこのような会話をします。
「普通の人間を、365日観察する。これを中継して配信するのは、いいアイデアだと思わない?」
というジェシーのセリフに対して、
「それって人間版ナショナル・ジオグラフィックみたい。誰が観るのかしら。」
とセリーヌが返答するシーンがあります。
このシーンこそが、この映画を象徴しているように感じられます。
先ほども触れたように、この映画は徹底的に二人を中心に進行していきます。他の登場人物や出来事は、あくまで彼らの関係が進展するための舞台装置でしかありません。
そのため、最初の出会いを除けば、大きなイベントは何一つ起こりませんし、伏線の回収もありません。
もっとも、出会いが奇跡的なので、そもそも映画の出来事全体が奇跡的なのも事実です。
ただ、それに対してさらに大きな出来事をぶつけたりせずに、ただひたすらに街を歩き回って会話するという「超」日常的な様子を描くというギャップが絶妙です。
つまり、これこそが冒頭の問いの答えなのでしょう。
人間版ナショナル・ジオグラフィックを365日放送してもウケは最悪かもしれませんが、出会いと別れが奇跡的ならば一夜の日常人間ドキュメンタリーは成立する、という製作者のメッセージなのではないでしょうか。
2.価値観のズレも一夜だからこそ
画像出典:https://cinemovie.tokyo/before-sunrise/
二人はウィーンのさまざまな場所を歩き、会話を通じてお互いのことを知っていきます。
その中で、ジェシーとセリーヌの人生観や死生観、宗教観といった価値観を共有し、ますます惹かれるようになりました。
ただ、これらは相性がいいという訳ではなく、むしろかみ合わない点が多かったのも印象的でした。
自立したい女、良き家庭を築きたい男、親の庇護を受けた女、親に恵まれなかった男、神を信じない女、神を信じる男…。
これは一夜の関係でしかないことが影響して、これだけお互いのプライベートを正直に共有できていると思いました。
継続的な関係を前提として会えば、相手に同調するような発言をしても不思議ではありません。
ただ、そうならなかったのは、特殊な出会いが影響しているからでしょう。
こうした情報を、知的で観念的な会話を通じて鑑賞者は知ることになります。
ただ、これが仮に今後も関係性を続けるとなれば、その魅力は失われてしまうとも思いました。
お互いに、自分にはないものに惹かれています。それは、共に時間を過ごすことでその驚きが失われ、同時に不快感に繋がるようなものでもあると感じたのです。
作中でも、
「幸せな夫婦はいない、あるのは不幸か偽りの幸せ」
といったセリフや、
「理想の妻だと思っていた祖母が、ずっと違う男を想い続けていた」
というセリフがあり、私の考えを示唆しているようです。
つまり、一夜限りの関係、別れを惜しむくらい短い間の関係だからこそ、かけがえのないものもあると感じました。
4.まとめ
淡々と進行していくストーリーと、強烈な出会いと別れ。
一見退屈しそうな映画中盤も、二人の会話や雰囲気が絶妙に練られており、むしろ出会いと別れがオマケのように感じられるほど魅力的な映画だったように思います。
これは余談ですが、私はそもそも「一日限りの関係」というものが、けっこう好きです。
基本的にコミュ障で人嫌いなので、相手のことを知れば知るほど、いやな点ばかりが目に入るようになります。
ただ、一日限りの関係だと不思議とそうはならず、別れを惜しめることが多いです。これは、相手のことを深く知らないからこそ、相手の表現したい理想像を疑わずに享受できているためでしょう。
もちろん、相手の真実の姿ではないのかもしれません。しかし、ハナから一日限りの関係なのですから、そこに真実のけがれて醜い人間の姿は、果たして必要でしょうか。
相手のことを深く知ることだけが人間関係ではないと、個人的には思います。
と、長々と語ってしまいましたが、続編の「ビフォア・サンセット」では、9年後の二人が再会するシナリオが描かれるそうです。
第一作がかなり好みだったので第二作の再会はちょっと不安なところもありますが、IMDbやRotten Tomatoesなんかの評価も悪くないので、今日明日にも観てみようと思います。
まあ、これだけの映画を作るスタッフが安易なハッピーエンドを選択するとは思えないので、そこは大丈夫だと思いますが。
観終わったら記事を書きたいと思いますので、よろしくお願いします。
追記:その後、『ビフォア・サンセット』を視聴して記事を書きましたので、こちらの記事もぜひ読んでみてください!
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