大学生にとって、学生生活と切っても切り離せないのは「サークル活動」でしょう。
体感では8割程度の学生が何かしらのサークルに入っている、あるいは入った経験があるように思えますし、そうでなくてもサークルの存在を身近に感じる機会は多いハズです。
しかし、「部活」でもなければ「友達グループ」とも違う性質をもつサークルという組織には、何かとトラブルが絶えません。
それに気づいたかつての私には、既存のサークルに見られる不満を解消できるような組織を作ろうと躍起になっていた時期がありました。
この記事では、自分の大学生活で最も大きなチャレンジであった「サークルの創設と規模の拡大、そして挫折」のお話をしていきたいと思います。
1.もともとは偶然の再開から始まった
話は現在より4年前――。
私がまだピカピカの大学一年生であったころにまでさかのぼります。
高校では帰宅部生活を送っていた私ですが、大学生になったからにはサークルに入ろうと考えていくつかのサークルに所属してみました。
しかし、その中には合うものと合わないものがあり、最終的には自分の所属する学科の先輩が多く所属していた「野球サークル」をメインにするようになっていきます。
このサークルは非常に優秀な先輩方が運営されていたサークルで、大変居心地の良い組織に感じられたためです。
唯一の難点は土日に行なわれる野球リーグ戦の会場が大学のある四ツ谷から遠く離れた国立というところでしたが、幸い私は多摩地区に住んでいたのでそれほど移動は苦になりませんでした。
このリーグ戦はいくつかの大学が加盟して合同で組織されていたのですが、その会場で私は偶然にも小中学校時代の同級生Aと再会することになったのです。(彼の名前はよく出てくるので、覚えておいて損はありません。)
再会は本当に偶然としか言いようのないもので、お互いに通っている大学の野球サークルが同じリーグに加盟しており、かつ当人同士も学内に複数存在する野球サークルからたまたまそのサークルを選んだ、という数奇な縁に導かれました。
お互いに偶然を喜んでその時は終わったのですが、後日「せっかくの縁だしどこかに遊びに行かないか」という話になったことを覚えています。
そして、我々は近隣の高尾山に遊びに行くという約束を交わしました。
2.ハンドボールサークルに入らないか、という誘いを聞く
これは確か4年前の夏ごろだったでしょうか。
私とA、それからもう一人小中学校の同級生とともに高尾山ハイキングを始めた私たち。
ハイキングそのものは何の変哲もなく消化されていったのですが、ちょうど下山するタイミングで私は自分の大学生活を一変させる言葉を聞くことになります。
ふと、Aから「実は今度ハンドボールのサークルを作ろうと思うんだけど、興味はない?」と声をかけられたのです。
私は基本そういった面白そうな誘いを断らないので、前向きな返事をしたことをよく覚えています。
しかし、私は「そもそもなぜハンドボールサークルなの?」という疑問をぶつけてみました。
私はAと同級生だったので、彼が野球一筋の学校生活を送っていたことを知っていたからです。
すると、創設を思い至った経緯として
ハンドボール経験者から「うちの大学にハンドサークルを作ってくれ」と依頼される
→東京西部の大学に全然ハンドサークルがないので、面白そうだとAが思う
→実行に移す
3.本当にサークルが立ち上がったのは1年の冬
上記の話を受けてから、夏は何事もなく経過していきました。
大学生は何かと「新しいサークル作るわ!」と言ってみて放置するということがよくあるので、私もAの言葉が実現するかは半信半疑だと思っていたのです。
しかし、秋ごろに「サークル創設が決まったので、結成コンパをします」という話が私のもとにやってきました。
もちろん私もこのコンパに参加し、本格的にサークルが始動することになったのです。
とはいえ、結成コンパから初練習が実施されるまでの間はかなりグダグダしていた印象もあり、コンパ以降一度もサークルで見かけなくなってしまった顔も多かったように思えます。
紆余曲折を経て、ようやく初めての練習を実施したのが同年の冬でした。
初活動の様子(ハンドボールは7対7のスポーツです)
この初練習は外で実施したため、あの時の寒さは忘れもしません。しかしながら、練習に際して我々には最大の問題がありました。
そう、初練習に参加したメンバーの中には誰一人としてハンドボール経験者がいなかったのです。
メンバーは私やAの知り合い・大学の同期をかき集めてなんとか集めたのですが、そもそも「ハンドボールとは何なのか」ということを全く知りませんでした。
そのため、今考えれば初練習は「ボール投げのような何か」でしかなく、サッカーボールを手で投げるというギャグのような競技になり果てていたのです。
ちなみに、私が当時ハンドボールという競技について知っていたことは
・ボールを手で投げる競技
・フットサルと同じようなコートでやる競技
・宮崎大輔という選手がいる競技
4.経験者が練習に来て、カルチャーショックを受ける
我々のサークルが「ハンドボールのような何か」から脱却したのは、年が明けて春休みになっていた3月のことでした。
第三回の練習を実施したところ、なんとAの知人であるハンドボール経験者が3人ほど遊びに来てくれたのです。
第三回活動の様子
我々が根掘り葉掘り質問をしてみたところ、今までやっていたそれは「ハンドボールのような何か」であったことが分かってきました。
競技としてのルールから基本的なゲーム進行、さらに必要な場所や用具に至るまで…。
何もかもが我々の知らない文化であり、あの時の衝撃は忘れることがありません。
そこで、我々は彼ら経験者の話をもとに「ハンドボールサークル」としての体裁を整えようと考え、練習場や備品の確保を志向しました。
しかし、それには先立つもの、つまり資金の存在が欠かせませんでした。
これまでは「なんとなく集まるサークル」だったので集金はしなかったのですが、ここに至ってサークル費というものを請求せざるを得なくなってしまったのです。
その旨をサークルのLINEで流すと、これまでなんとなく入っていたメンバーが一人、また一人と辞めていってしまいました。
その結果、Aがサークルの代表というのはそのまま据え置かれたものの、空白になった副代表の座を私が務めることになりました
最終的に残ったのは10名程度だったように思えますが、そこからは「市場分析と他サークルにない強み」を生かしてメンバー集めに奔走することになったのです。
5.サークル特有の問題を解消し、SNSで集客に成功
私とAは、これまでに入っていたサークルで経験した数々の「サークルならではの問題」を解消しようと動き出しました。
実際、大学生のゆるい連合体でしかないサークルには、以下のような問題がどうしてもつきまとってしまうのです。
・使途の分からない集金
・出席の強制
・身内意識からくる雑な連絡や態度
このあたりは大学のサークルによくみられるトラブル原因なのですが、意外なほど「当たり前の文化」として許されているのが不思議でなりませんでした。
確かに、大学生のサークルと考えればこれらも許されてしまうのかもしれません。
しかし、上記の事項を企業や営利団体が実行に移したらどうなってしまうでしょうか。
特に集金や連絡の雑さに関しては、大きなクレームに繋がりかねません。
そう考えた私は、自分が幹部を務めるにあたって「企業並みの制度」を導入しようと決意しました。
具体的には、以下のような感じです。
→毎月の月次会計を必ず公開し、使途を明確にした
・出席の強制
→完全任意とし、固定メンバーを作る努力をした
・身内意識からくる雑な連絡や態度
→常に「お客様意識」をもつように工夫した
・新入生に奢りまくる
・無理矢理LINEを交換する

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