「表現の自由展」から、公共の福祉とのバランスやネット独自の規制・検閲を考える

落書き 表現の自由 比喩エッセイ
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憲法を学んだことがある人は必ず聞いたことがあるであろう文言、それが「表現の自由」です。

戦後の日本国憲法では、「表現の自由」が法律として明記され、信仰や思想の自由とともに国民の権利として保障されています。

しかし、この「表現の自由」という問題をめぐっては、江戸時代から現代まで課題や議論が尽きないという側面があることもまた事実。

ライターとして上記の問題に関心をもっていた私は、所属しているサークル経由で専修大学が「表現の自由展」を開催しているという情報を入手し、活動の一環として同展を訪れてみました。

そこで、この記事では、展示会の内容をもとに「表現の自由」という問題についての私的な意見を述べてみたいと思います。

この記事は「表現の自由」を検討する記事のため、卑猥ないしは過激な表現がいくつか存在します。

したがって、未成年の方は閲覧を控えていただくとともに、成人の方も十分ご承知の上で読み進めていただけますと幸いです。

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1.専修大学が主催する「表現の自由展」の概要

表現の自由展 ポスター

まず、議論の前提として、専修大学が主催していた「表現の自由展」に関する概要を整理していきます。

この企画展は、専修大学生田キャンパスにおいて「時代にゆれた表現の自由~江戸から平成、そして○○~」というタイトルのもと、各時代において規制を受けた出版物が展示されていました。

その内容は卑猥なものから政治・宗教的なものに至るまで存在し、「表現の自由」という権利は常に脅かされ続けてきたことがうかがい知れる内容となっています。

サークルの代表曰く展示内容はインターネットを中心に話題になっていたようで、これは現代社会においてもなお「表現の自由」という問題について多くの関心が寄せられていることを示しているのでしょう。

なお、その他詳細はこちらの記事に詳しく掲載されていたので、合わせてお読みいただくと理解が深まります。

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2.「表現の自由展」を鑑賞して感じたこと

表現の自由展 入口

さて、ここからはいよいよ実際の展示会を鑑賞して感じたことに触れていきます。

「表現の自由」をめぐる歴史を全く知らないわけではありませんでしたが、自分が無知であることを改めて思い知らされたように感じました。

1.実際の「春画」を始めて見ることができた

まず、我々にとって一番身近?な表現の規制である「性的」の方面で著名な「春画」の実物を見ることができたのは大きな収穫でした。

江戸時代の文化や習俗を学んでいると一度は「春画」という芸術の存在を知るとは思いますが、実際にどのようなイラストが描かれているかは知らないという方も多いでしょう。

その方のために忌憚なき感想をお届けすると「知識としては知っていても実際に見ると生々しいな…」と思わされました。

やはりいつの時代も性表現には大差ありませんね。

ちなみに「春画って何?」という方もいらっしゃるかもしれませんが、当ブログでは取り上げることができない内容なのでお手数ですがググってみてください(笑)

2.比較的最近出版された青年誌の性表現に立ち眩み

続いても「エロ」の話になってしまって大変申し訳ないのですが、上記の「春画」よりも生々しさが厳しかったのは「90年代の青年漫画誌に掲載されていた性表現」です。

当時はまだ出版社の自主規制が緩かったこともあり、年齢指定やモザイク処理がなされることなく簡単に性表現がなされていました。

しかし、その内容を今見てみると「エロい」などという言葉では済まされないほど生々しく、端的にいって実に不愉快なものでした。

別に私は表現規制派でもなければ「紳士の嗜み」を解さないほど幼稚でもないという自覚はあるのですが、そういうレベルの問題ではないのです。

女性キャラが文脈やユーモアを完全に無視した形で下ネタを連発し、ただただ恥部が晒されるその光景は「下品」という言葉以外に形容のしようがありません。

もちろん当ブログで該当する漫画を掲載するわけにはいかないのですが、手に取る機会があれば勉強として一度見てみるのもアリです。

男子である私が顔をしかめるような内容なので、相応の覚悟が必要ですけどね。

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3.但し書きなしで表現の自由が規定されている国家は稀

これは私の勉強不足かもしれませんが、日本国憲法における「表現の自由」には「一切の但し書きが存在しない」という事実を初めて知りました。

これはどういうことかというと、一般に「表現の自由」を規定している国家が「ただし、国家の安全を阻害する場合はこれを認めない」や「有事の際にはこれを認めない」というように、状況によっては国家側が自由を規制できる、という状態にはないということです。

これだけ強く「表現の自由」が規定されている国家は稀であり、その根底には戦前の苛烈な情報統制への反省が現れていると分析されていました。

もっとも、我々からしてみれば「えっ、でも誹謗中傷で捕まる人もいるし過激すぎる出版物は出回ってないじゃん」と思いますよね。

ここが難しいところで、憲法レベルでは「表現の自由」が保証されている一方、もう一つ「公共の福祉」という機能によって基本的人権を規制することができるのです。

詳しくは下記を参照してほしいところなのですが、「基本的人権」と「公共の福祉」の調和は常に問題となっていて、その裁量は現状司法判断に委ねられています。

このことから、条例や刑法によって「表現の自由」をある程度規制することが可能になっているのです。

また、上記の点以外にも、出版社やマスコミによる「自主規制」がなされることも。

したがって、いくら「表現の自由」が規定されているといっても、やりたい放題できるという状態にはありません。

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